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世界に羽ばたくオニツカタイガー

1949年に兵庫県神戸市で鬼塚喜八郎が設立した会社から生まれたオニツカタイガー。
2003年にハリウッド映画『キル・ビル』で主演女優のユマ・サーマンが、オニツカタイガーのアイコンである
イエロー×ブラックのスニーカーを着用したことから、世界中の若者たちの間で一気にその名が広まった。
日本生まれのファッションブランドとして長らく親しまれてきたオニツカタイガーが、近年はラグジュアリーな日常着からライフスタイルまで
「五感を刺激する」ブランドとしてさらに大きく成長している。
その秘密に迫るべく、2011年より同ブランドのカンパニー長を務める庄田良二さんにお話をうかがった。

今シーズンのテーマ「アーバンデュアリティ」にはどんな思いをこめたのですか?

Ryoji Shoda(以下R.S.):今、世界が政治的に不安定な状況にある中で、服を着ることによって安心感を得られることが大事なのではないかと思います。
創業者の鬼塚喜八郎は常に「着ることによって安心するものづくり」を大切にしていました。
服は表現の一つであると同時に「人を幸せにするもの」です。

デジタル化社会が進む一方で、そこから逃げ出したいと感じている人もいます。
オニツカタイガーがクラシックやトラディションを大切にしているのは、現代人の心にいつも寄り添っていたいからです。
今回のコレクションでは、私たちのその思いが伝わったのではないでしょうか。

 今シーズンは「素材感」に力を入れました。シンセティックレザーと呼ばれる、オイル加工を施した光沢のあるレザーは、見た目にはずっしりと重そうですが、長時間着ても疲れないよう、軽さと着心地を重視しています。「二面性」も一つのキーワードです。

マットな手編みのニットと光沢のあるコーティング素材、女性らしいシルエットのロングスカートとライダースジャケットなど対照的なアイテムを、アーバン(都会)とカントリーサイド(田舎)のムードを加えて表現しました。ふだん都会で働いている人が「田舎に帰ったら安心する」と言うように、カントリー調が着る人の安心感へとつながるのではと考えました。

 会場も、そのシーズンの特徴やブランドの世界観を表現するのに最適な場所を毎回選んでいます。今回はクラシックな外観と、ミニマルでモダンなコンクリートの内装とのコントラストが、コレクションイメージにぴったりでした。

ランウェイは、真っすぐ長い一本線の上に、新作を着たモデルたちが一列に並んで見える演出にこだわりました。
観る人たちに、線のずっと奥の方はどうなっているのかな?という神秘性を掻き立てたかったのです。

毎年2月と9月に開催されるミラノのウィメンズコレクションには、世界中からメディアやバイヤー、セレブリティが集まります。参加を続ける中でオニツカタイガーにどんな変化がありましたか?

R.S.:東京から海外に再び発表の場を移すことはチャレンジでしたが、たくさんの海外の方が見ている中で新作を発表することで、次の成長のための新しい発見を得られ、グローバルな認知度も高まりました。特にアジアの人たちからは、ヨーロッパで受け入れられているブランド、という印象がより強くなったと実感しています。コロナ禍ではデジタルでの参加となりましたが、結果的にZ世代(1990年代半ばから2010年代序盤に生まれた世代)の方達がファンダム的に口コミで広げてくださり、より幅広い層にアピールできるようになりました。ミラノの中心地(コルソ・コモ)にオニツカタイガーのブティックを開くことができたのも、コレクションに参加を続けているからこそです。

 コレクションは一瞬で決まってしまうものなので、ものすごく緊張感があります。自分たちが作ったものを見て、お客さんたちがどう思ったか、その場で反応を見ることによって、次に活かすことができます。日本にいると常に新しいものを追い求めてしまいがちですが、こちらの人たちは、自分たち本来の持ち味を生かしながら、それをどう磨いて発展させていくかを軸にしている点など、多くの学びがあります。

Ryoji Shoda (庄田 良二)

兵庫県出身。欧米のラグジュアリーブランドでの経験が評価され、オニツカタイガー事業の責任者として2011年2月に入社。ブランドの経営戦略からデザインに
至るまで包括的にディレクションを行ない、グローバル展開にも貢献した。2012年からピッティ・ウォモ、東京コレクション、ミラノコレクションへと進出。2018年10月にはオニツカタイガーをカンパニー化し、世界的な人気ブランドへと成長させた。同年12月期の連結決算ではオニツカタイガーブランドとして、過去最高の売上高と過去最高の利益を達成した。

続きは本誌で…

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